モデルコース
沖縄市コザの史跡めぐり
沖縄市では、琉球王朝時代の越来城を中心に、琉球王朝のハイライトとなる物語が展開されました。その歴史ロマンを感じで下さい。
史跡が語る、沖縄市の歴史
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泡瀬ビジュル
まず訪れたのは、瀬泡瀬交差点の南東側に位置する「泡瀬ビジュル」。地域住民に親しまれている神社です。ご神体は「海に浮いていた石」を祀っていて。旧暦の9月9日にはビジュル参りの例祭があり、無病息災、子安、子授けなどの祈願に参詣者がたえません。
沖縄県沖縄市泡瀬2丁目1
098-939-4501史跡ツアーズ地図
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沖縄市漁業協同組合 パヤオ直売店
泡瀬ビジュルで祈願したあとは腹ごしらえ。ビジュルから車で5分程の距離にある「パヤオ直売店」にやってきました。泡瀬漁港内に立地する海鮮食堂です。色とりどりな沖縄の近海魚を取り扱っていて、獲れたての魚介を一匹から購入できるとあって、館内は地元のファミリー層で朝からにぎわっています。また、併設された食堂では伊勢エビやウニ丼、イマイユ(鮮魚)のバター焼きなどなど、多彩な海鮮メニューをその場で味わうことも可。購入した魚の調理も行っています。
沖縄市泡瀬1-11-34 沖縄市漁協内
098-938-5811 -
3
越来グスク跡
越来グスクは、これからご紹介する歴史上の英雄達が居城した城で、頂上からは東西の海が見えたと言われています。第一琉球王朝最大の争乱、護佐丸(ゴサマル)と阿麻和利(アマワリ)の乱を鎮圧した王、尚泰久(ショウタイキュウ)や、わずか半年で「神の託宣」により退位させたれた第二尚氏第二代王、尚宣威(ショウセンイ)が、それぞれ即位以前に居城していたことで知られています。また、阿麻和利(アマワリ)を討伐した鬼大城(ウニウフグスク)も、その功績により居城していたと伝えられています。
沖縄市 城前町 14 -
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越来の白椿
越来グスク跡からほど近くに「越来の白椿」が在ります。先に紹介した尚泰久(ショウタイキュウ 1415~1460年)は、越来王子として越来グスクに住んでいました。そのころ村の娘、世利休(セリキュウ)との間に子どものが生まれたので、母子のため家を建てて住まわせ、誕生の記念に白椿とミカンの木を植えたといわれています。長い年月の間に両方とも枯れてしまいましたが、白椿は挿し木で別の場所に植えてあったものを当地に戻し、現在でも2月頃には白い花を咲かせています。(現在は民家の敷地内に存在しています。)
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5
尚宣威王の墓
尚宣威(ショウセンイ1430〜1477年)は、第二尚氏を築いた尚円王の弟です。尚円が王位につくと、越来間切の領主となり越来グスクに居城します。尚円の死後、世継ぎであった息子の尚真が幼かったことから、第二尚氏二代目の王位につきましたが、「神の託宣」により、わずか半年で退位し、尚真に王位をゆずっています。その後、越来の地に戻り、1477年8月に没しました。
沖縄市越来3丁目 -
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ヒージャーガー(市指定文化財)
ヒージャーガー(樋川井戸)は、いつ頃作られたかさだかではありません。地元の明治20年代生まれの古老の話しによると、物心ついた幼少のときにはあったとそうで、それから推定して作られた年代はおよそ100年前後になります。地元の人々は、昔は子供が誕生した時にここで産湯を汲んだそうです。ウブガー(産井戸)として信仰され、行事の際にも村の頭達が拝んでいました。
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7
鬼大城の墓(市指定文化財)
「鬼大城(ウニウフグスク)」こと大城賢雄は大柄で武勇にすぐれ、1458年、首里王府軍の総大将として勝連按司の阿麻和利(アマワリ)を討伐し、その功績で越来間切の総地頭に命ぜられました。その後クーデターにより第一尚氏王統は滅び、鬼大城も知花グスクに追われ自害しました。その鬼大城のお墓は、知花グスク跡の南側の丘陵に位置する場所にあります。
沖縄市知花12 知花グスク跡 -
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ちゃんぷるー市場
鬼大城の墓がある知花グスク跡から車で5分。史跡ツアーズの締めにやってきたのは「ちゃんぷるー市場」です。ここは地元農家から直送の島野菜がてんこ盛りです。食の安全に対する期待が高まり、農産物の安全性にこだわる消費者が増えているなかでJAおきなわが提案する新しい農産物の生産販売システムが根づいた市場です。ツアーの帰りに、新鮮な沖縄市の農作物をお土産に購入してはいかがでしょうか。
沖縄市登川2697-2
098-894-2215
お帰りは沖縄北IC(高速道路)をご利用できます
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宮島真一プロフィール
一沖縄市出身。「沖縄全島エイサーまつり」や地域イベントの司会を務める一方、ドラマや映画製作にも携わる。
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伊禮洋子プロフィール
教員を退職後、琉球史に興味があったので沖縄市の史跡ツアーガイドに応募。現在では、修学旅行生を中心に、沖縄市の史跡等を紹介しています。 「沖縄市は琉球史においても重要な場所であるにも関わらず、その歴史が地元の人にも知られていないのが現実。史跡ツアーを通して、沖縄市の歴史に触れてほしい。」