モデルコース
琉球王国のドラマを巡る越来グスクルート
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銀天街壁画
巨大壁画に描かれたロマンを歩く。
コザ十字路に大きさ1600平米にも及ぶ琉球歴史絵巻とも呼べる巨大な壁画が2015年1月に誕生しました。
壁画は、万国津梁之鐘で有名な第一尚氏・第六代目の王「尚泰久(ショウタイキュウ)」を始めとする越来グスクゆかりの人物が群雄割拠した時代(15世紀)から、戦後米軍占領下に置かれ、黒人街として栄えた時代(1960年代)、そして現在の商店街へと移り変わるまでが絵巻として表現されています。
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- 銀天街壁画
- 沖縄市コザ十字路
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越来グスク跡
沖縄市の照屋・室川を一望。
沖縄市の丘陵地にあった城(グスク)。沖縄戦などで消失してしまいましたが、跡地が公園として残っています。
今でも沖縄市の照屋・室川地域を一望出来ますが、昔は今より高い場所にあり、コザ十字路も今より低い場所にあったので、太平洋まで見えたそうです。昔は中城まで見渡せる絶景が広がっていたそうです。
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- 越来グスク跡
- 城前公園(越来グスク跡)
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越来の白椿
越来王子の愛の証
尚泰久が越来王子として越来城に居城していた時、村の娘、世利休(セリキュウ)との間にできた子どもの誕生記念に白椿とミカンの木を植えたといわれています。
尚泰久は、琉球王国の第一尚氏・第六代目の王で、越来グスクを北山攻略のため強化し、また1458年に護佐丸と阿麻和利の乱を鎮圧した王としても有名です。
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鬼大城の墓
越来グスク城主にまで登り詰めた男
鬼大城(ウニウフグスク)こと大城賢雄は尚泰久の家臣で、尚泰久の娘、百度踏揚のお供で勝連城へ行くも、当時その夫で勝連城主である阿麻和利の謀反を知り、王府軍を指揮して討伐。その功績により、越来親方として越来城主となり百度踏揚を妻に迎えました。
しかし、その後金丸(第二尚氏・初代尚円王)のクーデターにより、攻め立てられ自害したそうです。
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尚宣威王の墓
コザに眠る琉球の王
尚宣威王は、尚円王(第二尚氏・初代国王)の弟で、尚円が王位につくと、越来間切の領主となり越来グスクに居城しました。尚円の死後、世継ぎの息子の尚真が幼かったことから、次の王位につくが、尚真の母、宇喜也嘉(オギヤカ)の策略で、わずか半年で退位に追い込まれ、その後、越来の地に戻り隠居生活をおくります。
尚宣威の墓は、沖縄市越来の小高い丘の中腹にあります。任期は短いものの琉球王であったため、歴代の王が眠る墓、玉陵(たまうどぅん)に入るべきですが「玉陵は尚円王の直系によって受け継がれて行く」という取り決めのため、越来に眠ることになりました。
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- 尚宣威王の墓
- 住所:沖縄県沖縄市 越来2-24-2