KOZA  SPECIALコザスペシャル

コザ芸能人列伝コザの芸能人は熱い!熱い!熱い!沖縄の芸能を支えると言っても過言でない重鎮の激熱特集。

あるときはバイトをするヤンキー、またあるときは日常生活を送るジェイソン、またあるときは無人島で漂流生活を送っているのにダイエットに勤しむ男など。独特な視点で描き出したキャラクターを鋭く演ずるお笑いピン芸人、ベンビー。最近ではOTVの情報番組『ウィンウィン』の「お部屋ねっと」でもおなじみ。全国的なお笑いブームのなかで、沖縄県内でも着実にフィールドを広げるお笑いシーンを疾走する彼は、じつは沖縄市出身。沖縄市池原にある彼の生家「大栄ストア」にてそのルーツを聞いてきた。

——まずはベンビーさんが芸人になったバックグラウンドから教えてほしいんですが。一般的によく聞くのは、もともとみんなそれぞれの地元で人気者で「自分がいちばんおもしろい」という気持ちを抱えて芸人になったとかってありますよね?

あー、そうですね。僕らもやっぱり基本は「自分がいちばんおもしろい!」って思って入ってきてますよ。ただ、僕はこの世界に入るまではそんなに人前でおもしろいことをやるっていう感じでなくて、クラスの人気者ってほどでもなかったんですよ。親戚のなかでも僕がいちばんしゃべらなくて、「お前にできるなら俺にもできる」って始めたころはよく周りに言われてました。

——確かにベンビーさんのネタを観てると、とにかくたくさんしゃべっておもしろいことを連発するっていう感じじゃなくて、集団のなかでも冷静にじっと見つめてて何かおもしろいツッコミどころを探してる、みたいなそんな印象を受けますよね?

それは多分にありますね。親戚が集まったらおじさんたちははしゃぐんで、僕は黙ってからそれを見て「今のおもしろいな」とかって思ったりしてますね。だからそんなに昔っからお笑いお笑いなタイプではないんですよね。小学校のころに長所に「ひょうきん」って書いてだからそんなに昔っからお笑いお笑いなタイプではないんですよね。小学校のころに長所に「ひょうきん」って書いて出したら先生に「ひょうきんではない」って言われましたから(笑)。

——今年で芸歴が10年目ですが、この世界に入ったキッカケは何だったんですか?

うーん、もともとダウンタウンさんが好きで『ガキの使い』とか毎週視てて、当時は相方もいたんで家に集まって視て「いやぁ今日もおもしろかったなぁ」とか言ってたんですよ。もちろんその前には『お笑いポーポー』とかがおもしろくて、それを視て育ってきてるんですけど、こんなコテコテの沖縄のお笑いとはまたちょっと違うのをやってみたかったんですよ。ただ、そのころはまだぜんぜん仕事としてとかじゃなくて、年に一度くらい自分たちで会場代出して、友達とか親戚呼んでやろうぜーみたいな感じでしたけど。でも、そのころから人前でやるっていうことを意識してたのかもしれないですね。直接のキッカケはウチの事務所の新人オーディションがあって、それを新聞の告知で知って、まぁ結局そのときは受けなかったんですけど、でも「あー、こんなのあるんだ!?」って思って。それで、当時の相方と「じゃあ、ちょっと受けてみるか?」ってなったんですけど、ネタはやったことないし、飲み会でちょっとやるくらいの感じだったんで、「じゃあ、1回観てみようか?」ってことで行ったんですよ。そしたら素人の人もスゴくおもしろくて、しかも最後にプロの人が出てきたらまた更におもしろくて。で、しかもいわゆる沖縄的なお笑いじゃなくて、中央でやってるようなお笑いだったんですね。「沖縄でもこんなことやってるんだ!?」って率直に思ったんですよねな感じでしたけど。でも、そのころから人前でやるっていうことを意識してたのかもしれないですね。直接のキッカケはウチの事務所の新人オーディションがあって、それを新聞の告知で知って、まぁ結局そのときは受けなかったんですけど、でも「あー、こんなのあるんだ!?」って思って。それで、当時の相方と「じゃあ、ちょっと受けてみるか?」ってなったんですけど、ネタはやったことないし、飲み会でちょっとやるくらいの感じだったんで、「じゃあ、1回観てみようか?」ってことで行ったんですよ。そしたら素人の人もスゴくおもしろくて、しかも最後にプロの人が出てきたらまた更におもしろくて。で、しかもいわゆる沖縄的なお笑いじゃなくて、中央でやってるようなお笑いだったんですね。「沖縄でもこんなことやってるんだ!?」って率直に思ったんですよね。

——そのころの沖縄のお笑いシーンってどんな感じだったんですか?

一世を風靡した笑築過激団さんにはじまり、いわゆる沖縄らしいお笑いの世界というか、その方々が仕事やってる感じでしたね。で、オリジンもFECもテレビにはほとんど出てなかったんじゃないですかね? ラジオにぼちぼち出てるくらいだったかもしれないですね。

——全国的には今のお笑いブームがちょうど始まり出したころですかね?

そうですね。ピン芸人もちょこちょこ人気のある人が出始めてたくらいで盛り上がる感じはありましたね。で、それから何年か経ってやっと沖縄でも若手とかお笑いの仕事がいろいろもらえるようになってきたって感じじゃないですか?それまではほんと笑築さんが引っ張ってたんじゃないですかね

——そんななかでお笑いの世界に飛び込もうって思うには簡単な決意ではないですよね?

うーん、そんときは、まぁ今でもそうなんですけど、最終的には中央でやうなんですけど、最終的には中央でやりたいって気持ちが強かったんじゃないですかね。20代の前半にオーストラリアに留学してたことがあるんですけど、そのときにほとんど日本人とばっかり遊んでたんですよ。そしたら、中央の人間もふつうに僕らの話聞いて笑うんですよ。それで「これぜんぜんイケるなぁ。日本が笑うぜ」ってちょっと自信になって(笑)。だから県内だけをマーケットに考えてたらこの仕事を始めてなかったかもしれないですね。

——では、最後に将来的なイメージを教えてください。

やっぱりこの仕事やってるからには中央を目指さないと意味がない、くらいの気持ちではありますね。ただ、若い人たちみたいに直接向こうへ行ってゼロから事務所探してってみたいなのはそれほど考えてなくて。まずは沖縄でトップ取るぐらいやってそれからあっちから呼ばれるようになったりして、活躍の場を見つけられたらいいかなとは思ってますね。とりあえずは沖縄でやれることをやって、それからですね

——中央へのアプローチは具体的にどんな感じで描いてるんですか?

たとえば先輩方で言うと、今は藤木勇人さんがイメージに近いっちゃ近いかもしれないですね。向こうで舞台やったりして。ただ藤木さんはお笑いとしての感じじゃないじゃないですか? 役者としてだったり、より文化的な感じだったり。僕は純粋にお笑いとして行けたらいいなと思ってますね。

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ベンビーさんが取材場所に指定したのは沖縄市池原にある「大栄ストア」。大好きなおばあちゃんが今も営んでいる昔懐かしいマチヤーグヮー(商店)。ベンビーさんの優しい人柄を感じました。

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    コザの民謡創成期をビセカツさんに聞きました。

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    沖縄芸能一筋。希代の遊び人にして不世出の唄者

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    常にロック・レジェンドの中心、ジョージ紫と息子のレイ。今回が初というロック親子対談が実現。

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    コザからは世界が見える。

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    伝統の継承と沖縄民謡普及の立役者。

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    独自の視点で日常を切り取る孤高の演技派ピン芸人、ベンビー!

※この記事は2010年2月発行のコザソース vol.037からの掲載です。

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