KOZA  SPECIALコザスペシャル

コザ芸能人列伝コザの芸能人は熱い!熱い!熱い!沖縄の芸能を支えると言っても過言でない重鎮の激熱特集。

七〇年代、オキナワンロックは日本のミュージックシーンを席巻し、数多くの伝説と継承者を残して来た。常にロックレジェンドの中心に位置し、今も尚新たな伝説を創り続けているジョージ紫と、そのDNAを受け継ぎ、誰よりもオキナワロックを継承し、コザで自身の牙城を築いている息子のレイ。今回が初というロック親子対談が実現。

——こうやって親子で対談をするのは初めてということなんですが、ふだんは別々に生活をされているんですか?

ジョージ紫…僕は名護にいるからね。
RAY…僕はこの「7th Heaven Koza」の経営がありますし。

——二人で会った時に音楽の話とかしますか?

ジョージ紫…以前は紫のメンバーとして同じステージに立つことがあったからそういう時には少し。それ以外はアドバイスとかはあまりしないけどね。
RAY…基本、僕は8-BALLとして活動しているので、今はそれぞれのバンドでそれぞれの音楽活動をするっていう感じですね。

——ふだんはどんな音楽を聴いているんですか?

RAY…車に乗っている時はAFN。家にいる時はMTVのアメリカ番組とか、メタルアワーはどんなバンドが盛り上がっているのかとか。海外の音楽情報をチェックすることが多いですね。
ジョージ紫…僕は最近またクラシックを聴くようになったんだよね。でも流行りの音楽とかも聴くけどね。

——それではコザの音楽シーンについてお伺いしていきたいのですが。紫が結成したのが1970年代ですよね。

ジョージ紫…あの頃はほとんどがハコバンドって言って、ライブハウスやクラブと期間限定で契約して演奏するっていうスタイルだったんだよ。コザの、特にセンター通りやゲート通りあたりはほとんどがクラブでさ。ウィスパーズの喜屋武幸雄さんがライブをしていたりして、それを観に行った時に喜屋武さんから一緒にやらないかって誘われたんだよね。夜の8時から12時まで金武で演奏して、コザで朝までまた演奏するっていうのがけっこうあったなあ。そんなバンドがたくさんいてさ。城間兄弟とかと知り合ったのもその頃かな。

——それが紫の結成に繋がるんですね。

ジョージ紫:それで復帰後に本土の会社とレコード契約をするようになったんだよね。

——1975年の「8・8ロックデー」というイベントで本土初上陸を果たすわけですね。

ジョージ紫:集団就職で沖縄から本土へ行った若者が多かったんだよね。そういう人たちがみんなライブを観に来てくれてさ。嬉しかったね。

——本土で働く沖縄出身者にとっては嬉しい進出だったでしょうね。その後、メジャー活動を経て、1978年に一度解散するんですよね。そして1983年の「第一回ピースフルラブ・ロックフェスティバル」にて復活宣言。

ジョージ紫…あの頃、紫も解散して、沖縄のロックバンドのパワーがなくなってきている感じがしたんだよね。僕ら自身もそうだけど、周りの音楽関係者達がもう一度沖縄に喝を入れなきゃと思っていて。もう一度紫を再結成して演奏してくれという要望が多かったんだよ。それで1983年に「MURASAKI WHY NOW? Peaceful Love Rock Concert」(なぜ今、紫?)という コンサートを開催したんだよね。そうしたら外人や日本人のファンがたくさん集まってくれてさ。だったらこれで沖縄を盛り上げていこう、来年も開催しよう、そしてその時は他のバンドもいっぱい出てもらおう、ということで年々出演バンドも増えて規模も大きくなっていったんだよね。

——それが今も続く「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」なんですね。RAYさんはいつ頃からジョージさんというか、音楽を意識するようになったんですか?

RAY…それがけっこう遅くて。アメリカで暮らしていた時期があったもので。
ジョージ紫…紫が解散した後MARINERというバンドを結成したんだよ。その時アメリカで二度にわたってアルバムをレコーディングしたんだよね。そこで、レコーディング・スタジオにRAYも一緒に連れて行ったりしたんだけど、僕は日本のレコード会社との契約があったから先に日本に帰ったんだよ。
RAY…僕は結局10年くらいいたんですけど、アメリカの生活はすごく勉強になったし、音楽の修行にもなりました。それで日本に帰ってから紫のライブを観たんですよ。それでかっこいいなって思うようになって。弟やアメリカ時代の友人達と8-BALLを結成したのが1998年かな。

——ジョージさんに音楽や楽器を教えてもらったりしたんですか?

RAY…教えてくれないです。当時のメンバーの楽器を借りたりはしてたけど、アメリカで習ってた以外は自己流です。

——そうなんですか。なんかジョージさんがスパルタで教えているのかと思ってました(笑)。

ジョージ紫…手取り足取りとかはやりたくなかったんだよね。紫色に染めたくなかったというか。個性は自分で磨いて欲しかったし、好きにやればいいさって感じで放任していましたね。
RAY…でも、いい音楽が身近にある環境で育っているから、それはすごくいい経験になりましたね。

——今の沖縄の音楽シーンについてはどう思いますか?

ジョージ紫:今はすごく幅広いジャンルが存在しているじゃない。いろんな人達が出てきてそれに刺激されてまた増えて。それがずっと続けばもっと才能のある人たちがどんどん出てくると思うんだよね。そしてもっと盛り上がっていけばいいなと思うよ。

——RAYさん率いる8-BALLみたいなバンドって今はどうですか?

RAY…僕達みたいにアメリカで修行していたとか、そういう経験をしているバンドって圧倒的に少ないんですよ。その中でもいいバンドは「7th Heaven Koza」のレイトショウなどで出演させてます。

——この「7th heaven KOZA」は歴史も長いし、ここが初ステージというバンドも多いんじゃないですか?

RAY…今年で10年目ですからね。いまメジャーで活躍している子達もみんなここでライブを経験していますよ。ろんなアーティストの歴史がありますね。

——今後はどんな活動を展開していく予定ですか?

ジョージ紫…本土の大きなイベントなどになるべく出演していきたいね。紫主宰のイベントを開催したり。そして沖縄ロックに刺激を与えていきたいよ。

——RAYさんは海外や本土とのネットワークも強いですよね。そういう意味では沖縄と外との橋渡し役なんかも期待されるのではないでしょうか。

RAY…本土や海外からのアーティストやバンドを誘致して、沖縄の音楽シーンを盛り上げて行くというのはひとつつの方法ですね。
ジョージ紫:あと、紫は今度30年ぶりにアルバムを出すよ。

——30年ぶりのニューリリース!それは楽しみですね!

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対談終了後、撮影用で沖縄に二台しかないハモンドオルガン(ジョージさん所有)の前で写真撮影をお願いしたところ、即興で親子競演を披露。ジョージさんが何気なく奏でた音色はまさにパワフルでロックそのもの。これぞロックの神業か〜!

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    コザの民謡創成期をビセカツさんに聞きました。

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    沖縄芸能一筋。希代の遊び人にして不世出の唄者

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    常にロック・レジェンドの中心、ジョージ紫と息子のレイ。今回が初というロック親子対談が実現。

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    コザからは世界が見える。

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    伝統の継承と沖縄民謡普及の立役者。

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    独自の視点で日常を切り取る孤高の演技派ピン芸人、ベンビー!

※この記事は2010年2月発行のコザソース vol.037からの掲載です。

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